許され難い死に方
不治の病が原因の苦痛が強すぎるから、あるいは
そういう難病に罹ることが確実になった場合、
それ以上苦しまないため、あるいはそんな苦しみを
味わうまで生きることを防ぐため、安楽死することや、
そうして亡くなった人や、自力で死ねない人のため
…そういう条件はあまり関係ないかもしれない…
安楽死を手助けする医師や装置の製造者に対して、
一般的殺人の犯罪者と同類とみなすような非難や攻撃をする
人たちの気持ちは、私にとって不思議なもので、
いったいどういうものか想像してみた。
一度でも安楽死を許してしまうと、最初こそ本人が
心の底から望んでいたにしても、いざ本当に死が迫る
段階に来た時、恐怖に襲われ、急に生きていたくなるものだ。
長年の苦しい延命治療を中止する決断をしても、
命を失いそうなその時に、延命の治療再開を望むものだ。
つまり、「安楽死」だったはずが突然「殺害」に変わる。
そういう感じだろうか。ただ、そういう感じの人は、
自分は絶対に死にたくない元気な輩で発言力が強い。
私は「死にたい」人はさっさと死ねる世の中を望んでいる。
死の危険を感じた時だけではなく、日ごろから「死にたくない」
「もっと生きたい」と常に思う人だけ生きる資格があると思う。