あほな話

あほな話

過去からの解放

「いつまでも過去にこだわっていると前に進めない。
そんなものはさっさと忘れて、今すべきことを…」
そういう他人の言葉に彼女は疑問を抱いていた。
彼女が過去にこだわる理由は、前進のために必要な今の問題を
解決する鍵が、過去にあることがわかっているからだ。
それを無視したままでは問題解決などままならない。
それに、四六時中過去にこだわっている暇もないし、
今すべきことを後回しにしているわけでもない。
彼女はある本を読んでいて気付くことができた。
「過去から解放されるためには、その過去をよく知らねばならない。」
 
ところで、「誰かにいじめられたり暴力を受けている人は、
その人自身が、人をいじめたり暴力を振るうような
素質を持っているからだ。」という誰かの説を、最近
彼女は読んだ。また、昔からよく見かけたのは、
「いじめられる側にも原因がある。」というものだ。
彼女はまさにそのことを、加害者と被害者の両方の立場から、
長い年月を経て実体験した。
彼女もかつては被害者で、今は加害者ではないかと
悩んでいる。人生の途中では、加害者だけの問題であると
信じていたけれども、どうしてもそう割り切ることができない
もどかしさを、その誰かの説が解いたように思えた。

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キバナコスモス

小さな幸せ

彼女は、その日の食材を買いに行くいつもの道中、

不用品処分の陶器が歩道の隅に置かれているのに気付いた。

値段はどこにも書かれておらず、お金を入れる容器もなく

好きなだけ持ち去ってくださいみたいな文が書かれてあった。

それは少し汚れていたり、ほこりをかぶっていたが、

どれも質のよさそうな美しさがあった。

彼女は、小さくてかわいいのを一つだけ持って帰った。

新しい家で他の食器とともに洗われたその器をながめながら

彼女は「器には誰かと出会うような相性がある」と思った。

性別の思い込み

ネット上の写真や言葉だけでしか知らない誰かの姿を
男性か女性かどちらかに思い込んでいて、ある時ふと、
より真実に近い性別に気付いて驚くことがある。
自分のことを「俺」と書いていた、ある人がある日ふいに
生理的に女性しかありえない内容の話を書いたりした時。
あるいは、知り合うきっかけがネットだった人が、
私が男性だと思い込んでいた人のことを女性だと断言したり。
そして、他人から見た私の場合、男性だったり女性だったり、
ネカマだったりしたけど、なぜかネナベだけなかった。
ただし、真実は書かないでおこう。

さて、上とは関係ない話。
入院して治療を受けている夢を見た。
睡眠の夢には不思議なことがある。
現実に入院したのは仮処置的な一夜だけで、
手術も日帰り三十分しか経験が無い。
それなのに、何日も入院している夢を何度も見る。
しかも、大学の時のように悪夢ではなく、
どちらかといえば、信頼している医師たちに、
きちんと治療してもらって幸せな感覚なのだ。
そして、精神的問題含めて具合が悪い時に
病院の夢を見ると、間違いなく回復する。

何度も繰り返す悪夢

また大学を卒業できない夢を見た。
この類の夢は最も多い悪夢で、その時の気分は
二度と味わいたくないほど耐えられないのに
耐えるしか他にどうしようもない感覚。
現実にはさほど苦労せずに卒業できたという事実
のほうが一度限りの儚い夢だったかのような、
はるかに現実味のある逆らえない自然の摂理のように
何度でも繰り返させられる経験なのだ。
ただ今回は、自分の今いる地点が、
入学と卒業のちょうど中間地点だったことを
明確に覚えている点だけが、今までと違っていた。
今までの夢には複数のパターンがあって、
卒業したはずの大学にこれから入学する時だったり、
留年していつまでも卒業できない状態だったり、
別の大学に入学しなおそうとしていたりした。

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大型客船の廊下

 

展示会

今年の夏も、つかの間の船旅をすることになった。
寄港地には有名な水族館があって
興味があるからそれだけ見学しようと思う。
水族館だけでなく動物園全般だけど、いわゆる
「気持ち悪い」生物は、少ないながら展示されていたけど、
時代とともにますます減っていき、今では皆無だ。
ただし、そういう生物だけを集めた臨時の展示会は、
ごくたまに開催されるようで、それも見に行ったけど、
それでもまだまだ「かわいい」レベルの生物しかなかった。
自然界には、とんでもなく「気持ち悪い」のに
地球の自然環境を浄化するとか重要な役割を持つ
ものすごく多種多数の未知の生物がうようよと蠢いている。
たぶん、あの有名な水族館にはそんな生物は一匹もいなくて
少しがっかりして終わるのかなと予想している。
昔、今では存在しない当時すでに古くて来館者も少なかった
ある水族館で見た、動物の内臓だけが水中で生きているかのような、
得体の知れない不気味な生物の姿は、私の記憶に焼き付いた。
当時でさえ、そういう生物の展示は少数派だった。

 

関係ない別のことを思い出した。小学か中学だったか忘れたけど、
自由研究の宿題か何かで、太陽系のことを調べただけの
レポートを提出したら、なぜか返してもらえず展示されて、
クラス全員で作る文化祭の展示テーマが「太陽系」になって
制作責任者というかリーダーに任命された事がある。
私はそういうものを自信もって喜んで引き受ける子ではなく、
自分には絶対にできそうもない難題を強いられた感覚だった。
しかし、クラスの人たちは、自然発生したリーダーの指示で

着々と展示作品を仕上げていった。私は見守るだけ…
それで、完成したのは私のレポートそのまま大きくしただけ。
私にとっては、ただただ恥ずかしかった。

試験の悪夢

奇妙な夢を見た。
何かの試験のようなものに挑んでいた。
私が経験してきた昔の試験というものは、
正解の選択だったり単語や文だったり数式を解答に使うものだけど、
その夢に出てきた試験は、もっとも簡単なものでも
芸術作品のような図や絵で回答を示し、他はまるで
超能力のような私にとって未知のエネルギーを使わなければならなかった。
夢の中でも私はただの凡人なので、ほとんど何もできず
途方に暮れてただ時間が過ぎるのを待っていた。
しかも、周囲の人たちは着々と回答できている様子で、
たいてい制限時間内に間に合ったようだった。
最初の数ページですっかりあきらめていた私は、
制限時間が迫ってきて誰もがそわそわし始めた時、
初めて試験の問題に一通り目を通す気になった。
驚いたことに、その時初めて見た問題の一つが、
自分に解けることが一瞬でわかった。
しかし、時すでに遅し。制限時間になった。

虚しい日々

最近、書けなくなった。

四冊セットのある難解な本を読み始めたせいかもしれないが。

面白いから、あの話を書こうとか、

不思議な夢を見たから書こうとしたことを、

完全に忘れてしまうのだ。

 

テレビで「遊び」に関する哲学の話題を見た。

遊びには以下の四種類あって、

「勝負や競争」「運や偶然」「模倣や妄想」「めまい」

各個人に向き不向きの遊びがあり、

やると夢中になるのがそれだそうだ。

私が夢中になったのは、テキストアートだった。

それってどれだろう。もしかして、どれでもない。